はじめに
歌手の愛内里菜さん(42)と専属契約を結んでいた芸能事務所が無断で芸名を使用しないよう求めていた訴訟で東京地裁は8日、請求を棄却していたことがわかりました。契約条項は無効とのことです。今回は契約条項と公序良俗について見ていきます。
事案の概要
報道などによりますと、愛内里菜さんは1999年5月に芸能事務所「ギザーティスト」(大阪)と専属契約を締結し、2010年12月に活動を休止したあと、別の芸名で活動を再開していたとされます。しかしその後2021年3月に同社の承諾を得ずに芸名を「愛内里菜」に戻すと発表したとのことです。同社と愛内里菜さんの間で締結された専属契約では、契約終了後も同社の承諾なしに芸名を使用してはならない旨の条項が盛り込まれていたとされ、同社は芸名の使用の差し止めを求め提訴しておりました。同社は控訴する予定としております。
公序良俗と契約条項
契約は当事者の合意によって、原則として自由にその内容を決定することができます。これを契約自由の原則と言います。しかしこれも完全に無制限というわけではなく、場合によっては違法または無効となる条項も存在します。その無効原因の一つが公序良俗違反です。民法90条によりますと、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」としております。この公序良俗に違反する類型は様々ありますが、大きく財産秩序に違反する場合、倫理的秩序に違反する場合、自由・人権に違反する場合、そして動機の不法が挙げられます。契約の中にこれらに反するような内容の契約条項が盛り込まれている場合はその条項もしくは契約全体が無効となってしまう場合があります。以下具体的に見ていきます。
公序良俗違反の具体例
まず財産秩序に違反する場合として、他人の窮迫、軽率、無経験を利用して著しく過当な利益を得る目的を有する内容の条項は無効とされます(大判昭和9年5月1日)。例えば通常の相場に比して異常に高い代金または賃料を取るものである場合、または逆に異常に低廉な価格で買い叩くといった内容である場合は公序良俗に反すると言えます。不当に高額な損害賠償の予定や違約金も同様と考えられます。これらは困窮などの相手方の弱みにつけこむ形や、判断能力の低下、心理的抑圧状態、その他著しく不公正な方法による不当な契約の締結と言えます。倫理秩序に反する場合として妾関係の維持に密接に関連した契約、不倫関係の維持を目的とした契約などが挙げられます(最判昭和61年11月20日)。自由・人権に違反する例として、合理的な理由なく定年年齢について男女で格差を設けるといった場合が挙げられます(最判昭和56年3月24日)。契約内容自体に問題は無い場合でも、賭博の借金返済のためといった不法な動機が示された場合はやはり公序良俗に違反することとなります(最判昭和29年8月31日)
その他の無効な条項
上記民法の一般条項である公序良俗違反以外でも独禁法や下請法、景表法、特定商取引法、消費者契約法などの強行規定に違反するような内容の条項はやはり違法で無効となります。たとえば製品の納品後も一方の都合で自由に返品することができるといった条項や一方の都合で自由に代金を変更できるといった条項は下請法に違反することとなります。またそれ以外でも立場が強い事業者が弱い取引相手に対して一方的に従業員を派遣したり、商品等を買い取らせる内容の条項も優越的地位の濫用に該当しうるもので独禁法違反となります。その他契約の文言が曖昧で一方の都合の良いように解釈しうる内容の条項や、代金の支払時期は双方協議の上その都度決定するといった適さない事項を協議事項とする条項も問題となる可能性が高いと言われております。
コメント
本件の愛内里菜さんと芸能事務所が締結した専属契約で問題となったのは芸名の無断使用禁止条項です。この条項は同社との契約が終了した後も「愛内里菜」という芸名の使用を無期限に禁止するものでした。東京地裁は当該条項は社会的相当性を欠き、公序良俗に反して無効であるとし、会社側の請求を棄却しました。芸能人の芸名はある種財産的価値を有し、それを契約終了後も無期限に使用を制限する条項は著しい不利益を一方的に課するもので不合理と判断されたのではないかと考えられます。以上のように契約条項は原則として自由に定めることができますが、法令の強行規定や公序良俗に反する場合は違法・無効となる場合があります。それにより契約全体が無効と判断されることもあります。財産秩序や倫理に抵触する場合、または過度に曖昧な内容の条項が盛り込まれていないかに注意して契約書の作成や審査を行っていくことが重要と言えるでしょう。